思い出には2つ…日本ハム石井引退会見「本当に幸せな野球人生」
今季限りで現役を引退する日本ハムの石井裕也投手(37)が30日、札幌市内の球団事務所で記者会見を行った。
先天性難聴を抱えながらも、三菱重工横浜クラブから04年ドラフト6巡目で中日に入団。
その後、横浜(現DeNA)、日本ハムと3チームで計14年間プレーした「サイレントK」は「14年間、野球をやれて本当に幸せな野球人生でした。
僕にとってはかけがえのない時間で、14年間本当にありがとうございました」と感謝の言葉を口にした。
思い出には2つを挙げた。
1つは中日時代の05年にプロ初登板の初球を広島・前田智徳に本塁打されたものの、日本ハムに移籍した後の対戦で三振に仕留めたこと。
2つ目は12年の巨人との日本シリーズ第6戦で、巨人・阿部に決勝打を許して敗戦投手となったこと。
この試合を報じる新聞とこの試合で投げている写真は「悔しさを忘れずにいこうと思った」としばらくは自室に飾ってあったという。
これらの2つを思い出として挙げた左腕は「忘れられない試合」と感慨深げに振り返った。
「調子の波もあって1軍に上がれなかったので、そろそろ(引退)だと思った。
自分で決めたことなので悔いはない」ときっぱり。
今後については「まだ決めていないけど、野球に関わりたい」と話した。ニュース配信元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180930-00000138-spnannex-base
「思い出には2つ…日本ハム石井引退会見「本当に幸せな野球人生」」への、ネット民の反応
まとめ
これからも野球に関わって頂きたい
以上、思い出には2つ…日本ハム石井引退会見「本当に幸せな野球人生」のまとめでした。
Source: Its a Sports World !
思い出には2つ…日本ハム石井引退会見「本当に幸せな野球人生」
ベイスターズファンですが、暗黒時代にチームを支えてくれた1人で、本当に大好きでした。石井裕也がマウンドに上がると、いつもワクワクした。日ハムに行ってからも、毎年成績を気にしていました。思い出の中に横浜時代が無いのは寂しいけど、本当にお疲れさまでした!
ハンデがなくても14年、プロで生き抜くことは大変ですし結果を残したことは普通に石井選手は凄いと思います。更にハンデがあってそれを乗り越えたところに本当のプロと呼べると思います。
ファイターズ日本一メンバーのひとり。素晴らしい左腕でした。感謝しかありません!
かっこいい選手だったなー勇気もらった人たくさんいると思う
ハンデがあってもプロ野球選手になれる事を証明出来たね。同じ様にハンデがあってもプロ野球選手を目指したい、夢を叶えたいと思える人達も増えて欲しいね。石井投手…辛い事や大変な事、沢山あったと思います。本当にお疲れ様でした。
この人じゃないだろ!日ハムで引退しなきゃいけないピッチャーは!!!!石井さんには何度も助けられた気がします。難聴というプロ選手には厳しい状況の中で本当にお疲れ様でした。
おっ、また口の達者な新人が捧げるホームラン打ってくれるかもよ
いい顔してるな。やり切ったんだろうな。おつかれ様、サイレントK,
サイレントK格好良かったよ!お疲れ様でした!コーチやってくださいよ(⌒0⌒)/
尊敬できる人のまさに見本だと思います。14年間お疲れ様でした。
ストレートが強い投手だった防御率も3点台だし間違いなく名投手だった
中日に入団したとき、補聴器のメーカーが高性能の補聴器を石井投手のために作って提供したことを覚えてます。ずっと中日にいるのかと思ったら、いつの間にかトレードされてしまったんだ!ヒーローインタビューされたこともあったように記憶します。懐かしい!これからも野球関連の仕事が出来ると良いですね!
実力のみの世界でハンデキャップがありながら14年も第一線で投げ続けるって、本当に我々には想像もつかないほどの努力をなさったんだろうと思います。最初は大変失礼ながら、難聴なのに頑張ってすごいな、みたいな気持ちで応援してました。でも、いつもほんと普通にビシッと抑えるので、リリーフ投手好きな自分としては普通に好きな投手になりました。長い間おつかれさまでした。今日は引退登板してくれるかな。本気の西武打線を抑えて欲しい。
ファイターズの球団職員に転身してもらいたい!
ツーアウト満塁みたいなパンチで出てきてビシッと抑えてほしいな
芹中時代から見てた。耳のせいで横浜高校入れず、ヤクルトからもドラフトされなかったけど、本当に素晴らしい野球人生だったね!本当にお疲れ様!
同じ様に難聴を持つ子に野球教えたりするのもいいかも。そこからまた野球選手がうまれたら面白い。
やりきった感じがするね。おつかれさまです。
お疲れ様でした。同じようにハンデ背負う方の励みになりましたら、
ハンデが有り横浜高校に入れずに凹んだとは思いますがそれを力にここまで来れたのかなと思います。石井君の先輩としたら最後は秋山との対決を観てみたいと思います。「本当に幸せな野球人生だったって言える人はなかなか居ないです!本当にお疲れ様でした。
いつだか忘れてしまいましたが投げる時は補聴器のスイッチ切るみたいですね、そうすることで集中して投げれると、ハンデを背負いながらもそれを武器にして活躍する姿凄くカッコよかったです。お疲れ様でした。
石井のフォームと、バットの上を通り抜けるストレートは本当に美しかった。おつかれさまでした。
正直、こんなに長くやれるとは思ってなかった。左の中継ぎとして貴重な存在、ただ巨人の阿部にはカモられたな。
社会人から入団して14年。十分に戦い抜いたと思います。聴力のこととか関係なく、ピッチングは強気。知らなきゃ、試合見てても難聴のことなんてまったく分からない。本来は、高卒の時に指名を考えていた球団もあったそうです。だが、その時は難聴のことがよぎり、さらに成長するまで様子見よう、と見送られたとか。実力さえありゃ関係ない、と十分に示してくれたと思います。
お疲れ様でした。今後、野球を通じて 障害のある方への
プロ野球選手は一握り夢を叶えて14年…そりゃ幸せな人生だったかもな
登録されて恐らく引退試合でワンポイントで登板機会があるだろうが、誰に投げるのかな。試合展開や打順の巡り合わせにもよるけど出来れば高校の後輩の秋山相手に投げれたら一番理想だな。ただライオンズも優勝掛かっているから難しい面もあるかもしれないが。プロで10年以上飯を食える選手なんてほんと一握りだけど、難聴というハンディキャップに負けずここまでやって来た石井には本当にお疲れ様と言いたい。
最初にドラフトで入団させた中日も、未知の世界に飛び込んだ石井投手も、すごく勇気があったと思う。
中日対巨人戦で巨人打線がなかなか打てんかったときに徳光和夫が石井に対してひどいことを言っていたのを忘れてへんで。
今までお疲れ様でした選手を辞めてもぜひ野球界に残ってほしい人だ
3球団でそれぞれ必要な戦力として頑張ってきたなぁ。
「難聴」は関係なく選手としてストイックで、風貌と違い野武士タイプなのかなという印象でした。14年間お疲れ様でした!
今日は西武の胴上げを阻止して石井の引退セレモニーをやってほしい。9月中の優勝も阻止だ。
全盛期の高橋由伸に内角フォークで見逃し三振に取ったシーンが中日ファンとしては忘れられない。
頑張りましたね でもあの頃の中日のドラフトは凄かったね
サイレントK格好よかったです☆
中日ファンです。石井裕也にはいっぱい元気 勇気 をもらいました、本当におつかれ様でした。
これからも野球に関わって頂きたい